日常記録2011年03月11日

今年は兎年で飛躍の年とかのはずだった・・・

自然災害で死を覚悟したのは生まれて初めてで、
被災者となったのも初めての事だった。


その時、2011年3月11日、午後2時46分・・・


最初は普通の震度だったが、徐々に揺れが強くなり、
最終的には船の上にでもいるかの如く強烈な横揺れが襲った。

棚から物は落ち、食器が次々に落下して砕け散る。
次の瞬間電気が消え、家具が倒れるが、揺れはまだ収まらない。

もう身の保全以外に行動できない状態がかなり長く続いた感じがした。

揺れが収まると部屋は滅茶苦茶な状態で、電気は復旧せず、
ガスも水道も止まってしまっていた・・・

たまたまスリッパが近くにあったのでそれを履いて、
砕けた食器が散らばったところには座布団とダンボールを敷き、
とりあえず玄関の扉が開くか確認してみる。

幸い建物自体のダメージはそれほど酷くはなかったようだ。

ついでに外へ出て近所を確認・・・
なにが怖いって火事が発生して巻き込まれるのが一番怖かった。

とりあえず家の近くで火事は起こっておらず、煙臭くもなかったが、
水道管が破裂しているのか道路から水が吹き出し、
更に液状化現象で汚泥が吹き出して刺激臭がしていた。

現状が把握できないので車のカーナビでテレビを見てみる。
この時初めて東北で震度6強の地震が発生したことを知った。
(後に観測史上最大のマグニチュード9.0、震度7に修正)

最悪事態を考え、一旦家に戻って必要なものをかき集めていると、
近所に住んでいる知り合いが無事を訪ねに来てくれた。

半パニック状態に陥って震えていた相方は知人の声を聞き、
多少冷静さを取り戻たようでし、避難を促されて外へ出ることにした。

近くの公園には続々と非難してきた人々が集まり、
携帯でワンセグをチェックしている人の周りに集まって、
現状把握に努めていたり、安否確認のために必死に電話したりしていた。

そうこうしているうちに防災無線で津波に備える警報が出たので、
万が一に備えて海岸線から遠い実家に避難することにした。

そうなると問題なのが我が愛猫達で、1匹は布団の下にいたが、
地震発生直後からもう1匹が姿を消してしまってまったく返答がない。

時間がないが、ほっとけないので捜し回ること数十分・・・
ようやく押入れの一番奥の衣装ケースの間にいるのを発見し確保。
毛布と一緒にかばんに押しこんで、車に載せ、避難開始。
公園で相方と合流し、ライフラインが寸断された街から脱出を試みた。

当然の事ながら信号は機能していおらず、道路は大渋滞。
これが夜だったらもっと悲惨な事になっていただろう。

その間もカーナビのテレビで続々と情報が入ってくる。
実家に電話してみても繋がるはずもなく、無事を信じて行くしかない。

それよりも先を見越してガソリンを満タンにしておきたかった。
よりによって夜にでも入れに行こうと残量が少ないままで、
最悪車内生活を強いられたら行動不能に陥ってしまう。

が、驚くべき事に実家の辺りは電気がやられていなかった!

道路は所々でゆがんでいたり、亀裂が走っていたり、
マンホールから水が吹き出して水浸しになっていたりしたが、
信号は生きていて渋滞も起こっておらず、わりかしスムーズに移動できた。

なによりガソリンスタンドが営業していてくれたのだ!
これ幸いと満タンにして一安心。実家は目と鼻の先にある。
辿り着いてみると見たところ建物へのダメージもなく皆無事で、
更に驚くべき事にライフラインの寸断どころか皿一枚割れていない。

うちと同じ海岸線にほど近い埋め立て地のはずだが、
この辺りは地盤がしっかりしていてダメージが最小限で済んだのか?

とにかく健在なのはとてつもなくありがたかった。
最悪こっちに非難してくれば良いと分かれば更に行動できる。
相方もだいぶ落ち着いたようで、とりあえず一服した後に
放っておくと今度は災害泥が怖いので家に戻る事にした。

相変わらずうちのエリアは電気が復旧していない。
道路はカオス状態で、液状化やひび割れで通行不能の場所もある。

ガソリンは手に入ったので、明るいうちに懐中電灯や水を確保せねば。
なにがありがたいって携帯で電話は繋がらないが、
ネットが繋がってワンセグが常時見れたのが救いだった。

更に、相方と機種が同じなのでバッテリーや充電器の共有ができる。
こんな事態は考えもしなかったので、かなり重要な事だった。
携帯の充電も車にガソリンがあればいくらでもできる。
とにかく情報を入れて現状を把握していないとかなりヤバイ。

家に着く頃には既に夕方になっていて部屋の中は薄暗く、
窓から差し込む光だけでは捜し物も満足にできない。
拡張なしに電飾ゾイドの光源すら頼りになる状態だった。

最悪だったのが懐中電灯が倒れた棚の上に置いてあった事だ。
棚の中身は散乱し、その山の中に懐中電灯があるはずなのだが、
いくら物をどかして探してみても見つからない・・・

一番下は食器などが割れて破片が散らばっているので、
素手での作業は危険だし、移動も困難になっている。

気がつくと陽は落ち、完全に真っ暗闇(滅)

携帯電話の灯りでなんとか照らし出せるのは闇が濃いからだ。
たまたま組んで電池を入れてあり奇跡的に無事だったゴジュラスの
チカチカ繰り返す光源の点滅音すらよく聞こえる暗闇の無音状態・・・

なぜゴジュラスは無事だったのかというと、
たまたま撮影ブースの上に置いてあって、周りに物がなく、
各部に吸盤が付いているので横揺れにも強く、転倒しなかったからだ。

・・・撮影ブース?!・・・

この時、ようやく光源用のハンディライトの存在を思い出す(滅)
しかもこれは電池でも使える蛍光灯タイプなのだ!

エネループは充電ボックスの中に入ったままコンセントに刺さっている。
しかも電球やLEDと違って蛍光灯タイプなので広範囲を照らせる!!

最初からこれを発掘していれば苦労せずに済んだのに(涙)
しかし、冗談抜きで涙が出るほどありがたかった。
よく買っておいた!昔の俺!!(笑)


・・・・・・・


居間や台所はしっちゃかめっちゃかで移動もままならなかったが、
寝室は多少物が崩れただけで寝起きに問題ないレベルだった。

ノートパソコンもあったが電気が復旧してないとネットが使えない。
携帯よりはでかい画面でワンセグも視聴可能だったが、
充電できなければすぐにバッテリーが底をつく。
こいつはいざって時のために温存して、引き続き携帯で情報収集。

ワンセグとネットが生きているのでそれだけが頼りだ。
後になってNTTが無傷なケーブルに切り替えて対応していたと知る。
ネットが生きていたおかげで救われた人が大勢いたのだ。

しかしワンセグでは字幕が読み辛く、画面も小さい・・・
・・・ふと、知り合いのことを思い出す。

東京に勤務している近所の知り合いが3人ほどいた。
電車は当然動いていないので、各地で足止めを食らっているはずだ。

夜になって多少冷え込んできたが、暖房器具も使えないので、
車でワンセグを見ながら暖を取ろうと考えついたが、
どうせなら足止めされている知り合いを迎えに行こうかと思い立つ。

とりあえず携帯で連絡してみると、今回はあっさり繋がった。
すると、東京駅まで来たものの足止め状態で諦めているとの事。

早速東京駅に向かって車を走らせる。
下り車線は大渋滞だが、東京へ向かう上りは比較的空いている。
ところが、国道を出て東京駅に近づくと大渋滞が発生中(滅)

歩道を歩く人々の列が悲壮感を漂わせている。
コンビニからは物が消えていて、ビルのエントランスには横たわる人々。
夜明けを待ったところで始発から鉄道が復旧する保証はない。
ここが決断の重大な分かれ道だ。

東京駅へ着くと帰宅困難者のために改札が解放されていて、
駅構内は切符を買わなくても入れる状態になっていた。

知り合いは携帯の電源が切れかかっていたので、
最小限のメールのやり取りしかしていない。
東京駅は広いので、予め出口に移動してもらってればよかった。
程なく合流することができ、地獄に仏を見たような顔をされた(苦笑)

ここでもう一人、新宿の知り合いに連絡を入れてみたが、
早い段階で帰宅困難を悟り、満喫に避難したところ、
満室になった段階で店側が殺到する客排除のため入り口を閉鎖し、
店内の客のみに対応したために、半ば閉じこめられた状態とのこと。

確かに殺到して店内がパニック状態になっても困るだろうから、
懸命な判断なのかもしれないが、結構強引な方法だ。
そんなわけで鉄道が復旧するまで寝て過ごすと決めたらしいので、
回収は諦め、直ちにUターンする事にした。

もうひとりの知り合いはそういえば携帯を持っていないので、
連絡の取りようがなく、50キロぐらいなら歩いて帰る性格なので、
国道を歩いていれば運良く回収できるだろう程度に考えた。

さすがに帰りは大渋滞で亀の歩みだった(滅)

移動している間もカーナビが頻繁に緊急地震速報を受信する。
知り合いの携帯がドコモだったのでここではじめて聞く音にビビる(苦笑)
突然鳴り響く異音にすでにトラウマ状態になりつつある(欝)

それにしても国道に出てからはビタとも動かなくなった。
信号が変わっても側道から入り込む車でめいっぱいふさがり、
なかなか進む事ができず、10分単位で足止めされる。

更には所々で追突事故が発生しており、
警察も来ないからそのまま長時間放置される有様。
家に付くまでに少なくとも二桁の事故を目撃した。

しまいには前の車が渋滞待ちで停止中のトラックに突っ込む始末・・・
片側が全く動きがないと思ったら、運転手が寝ていたり、
明らかに居眠り運転っぽく蛇行を繰り返す車がいたりで、
ただでさえカオス状態の現状を更にややこしくしていた。

「バカどもに車を与えるな!!」

某先生ではないが何度そう思った事か・・・
そんなこんなで家にたどり着く頃には既に夜が明けていた・・・
疲れが増すことにまだ電気が復旧しておらず、
周辺道路も街も麻痺状態が続いていた。

とりあえず休憩と補給を兼ねて家に寄り、
徹夜で疲れていた相方には家に残ってもらう事にした。
知り合いの家はうちから15キロほど離れていたからだ。

けっきょくもう一人の知り合いは発見できず、
後日別の国道を歩いていて、よほどうちに寄ろうかと考えたが、
いなかったら心が折れる危険があったので寄り道せずに帰ったらしい。

そんな目にあっても未だ携帯を持たずにいる変な奴で、
驚くべきことに嫁さんもつい最近携帯を持って、
ようやくメールでのやりとりが可能になった矢先に、
今回の騒ぎでチェーンメールが回って来て苦笑せざる得なかった。

市原コンビナートが火災で有害物質が待っているとの誤報だが、
確かに実家に避難する際に通称ナンパ橋と呼ばれる、
幕張メッセにほど近い美浜大橋から市原方面を見た時、
黒煙を上げながら炎上しているコンビナート群を見て戦慄した。

後日工場の近所の知り合いに聞いたが、ものすごい爆音と振動で、
ミサイルでも落ちたのではないかと思ったそうだ。

千葉港には成田空港に燃料を輸送するパイプラインがあるし、
工場地帯には色々とヤバ気なものがたくさんある。

幸い火災だけでなんともなかったから良かったが、
誤報ではなく本当に有害物質が舞ったら千葉にはいられなくなる。
そのためにも情報は正しく選別し、誤った決断をしないようにせねば・・・

結局東京駅から6時間近く経って知り合いの家に到着・・・
腹が減っていたのでコンビニに寄ってみたが、
僅かな飲料を残すのみで食べ物は全滅していた。

タイミング良く仕入れのトラックが到着したが、
少量の菓子パンぐらいしか持ってこれない状態になっていると言う。
食糧と飲料水確保が切実な問題になりつつあると実感する。

幸運なことにおでんがちょっと残っていたので、
知り合いにとりあえずのお礼って事で、
売れ残っていた高いコーヒー(苦笑)と、おでんをごちになる。

帰り道は国道のバイパスこそ混雑していたものの、
流石に朝を迎えて多少は緩やかに進むようになっていた。

ヘトヘトになって帰ってくるとなんと電気が復旧している!!
相方に聞くとついさっき復旧したと防災無線でお知らせがあったらしい。
ガスも緊急停止しただけですぐに復旧できたみたいで、
残すは水道だったが、残念ながらこっちはまだ復旧していなかった(滅)

しかしずぼらが逆作用して風呂に湯を貯めっぱなしにしてあったので、
トイレは使用可能で、飲料水用の水も買い置きが1ダースあったし、
炭酸水やお茶などの買い置きも豊富にあった。

冷凍庫のアイスはドロドロになっていたが(涙)
冷凍食品の類はそれほどダメージを受けておらず、
少量の水でできる冷凍うどんなどもあってとても助かった。

おみやげのおでんを食べた時に思ったが、
心身ともに疲弊しきった時に温かいものを食べるととても安らぐ。
これほどコンビニのおでんが旨いと思った事はない。

水道が復旧するまでは最小限の消費で乗り切らねばならない。
とりあえず電気が復旧してくれたので、PC周りの物をどかし、
ハードディスクが無事か、ネットに繋がるか、各々チェックしてみた。

幸い破損は見受けられず、ネットにも繋がり情報収集しやすくなった。
ここではじめて鮮明な画像で各被災地の現状を目の当たりにする。

考えなくても分かる、阪神淡路大震災を超える大災害だと・・・
そして怪我こそしていないが自分達も紛れもなく被災者となったと実感。


緊張状態が続いていたので30時間経っても眠気が来ない・・・
しかし疲れていたのでとりあえず横になる事にした。

被災地が復旧するのにどれぐらいかかるだろうか・・・
水道はいつ復旧するのだろうか・・・

不安だらけだが、先手を打ってやれる事はやらないと後で困る。
ちょっと仮眠して、店が開く時間になったらとりあえず街に出てみたい。

この記録は後日に書いたものだが、現実はもっと深刻であり、
普通の生活を取り戻すのはまだまだ先の話だった。


この日から、明確に日本は変わってしまった。


1年後の3月11日に、日本がどう変わっているのか、
願わくば、色々と良い方向に変革している事を期待したい。



この度の震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りしますと共に、
被害を受けられた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。